ぐだごだ自我日記

ゆるっと真面目に考えてます

ハッピーな世界

幸せな世界、よりもこっちかなって。
 
 
意味合いは同じなんですけどね。あのね、みんな笑って過ごせる世界があったらいいなって。でこぼこでも、均されることなく、自分はいていいっていうことを疑いもしない。 
 
理不尽な悲しみがない。それを幸せととりあえず定義づけてみます。
 
いやなんでもよくて。言いたいのはね、「幸せな世界」っていうより「ハッピーな世界」って言った方が、なんだかイメージ明るくなりませんか。
 
 
幸せってなるとみんなが秩序守って規律守って、みたいなイメージが勝手にあります。あったかさもあるけどね。
 
でもハッピーってなると感覚的にワーイ!たのしー!みたいなかんじありません?私だけ?
 
とにかくね、ハッピーな世界目指してやれるだけやってやろうかななんて、考えてました

あの歌この歌

この歌をあの歌を聞きながら思い出す思い出に対して、今も続いてるものでなく、あの時貰ったものだと思う、ことができた。 おもいでのひとつ。

 

寂しいって何も悲しい感情だけじゃないと思うんですよね。

寂しいはあったかかった証拠だからありがとうでもあるじゃないですか。

どうしても恋しいに負けちゃうんですけどネ。

 

小さい時、家族で旅行に行くときは、車内の音楽は必ず「みんなのうた」でした。

音楽ってめっちゃ記憶呼び戻しません?

さみしくなるのが常でした。

 

でもこの前ね、思えました。

あの頃はよかったじゃなくて、あの頃もらえてありがとうだったんだなって。

 

みんなのうた、好きです。

みんなをつなぐうた、好きです。

「みんなそうだから」とかいうやつ

 

 

「みんな頑張ってるよ」

「みんな同じだよ」

 

よく言われます。しんどいとき。

でも私には「みんなそうだからお前も我慢しろ」に聞こえます。

我慢できねえってばよ。

 

我慢ってなんだろうって思いました。

我慢ってなんだろう。

 

どうにもマイナスイメージの言葉として捉えてしまう。

 

 

調べたら、我慢ってもともと煩悩なんですね。自分を高く見て他人を低く見る心のこと。

今は自分自身を抑制すると言った忍耐の意味合いで使われることが多いですよね。

忍耐=美徳じゃないですか日本において。なんで?って。

忍耐の反対語は怒りだそうで。

 

怒りは人間らしい感情だなあと思うんです。

 

耐え忍び耐え忍び、自分の目的を達成するとても美しいことだと思うんですけど、それって、あったかくない。熱が、なくないですか。

 

私は我慢するタイプです。すごく、耐えて溜め込んでそのまま自分の中でぐるぐるするタイプです。多分忍耐=美徳という価値観の中では、あるべき姿なのだと思います。私もそう思っていたからこういう人間に育ちました。

 

でも、なんか、なんか.......それを経て思うのは、怒りの感情が、熱を持った人が、すごく羨ましい。人を変えれる、世の中を動かせるエネルギーを持った人は、きっとそういう人達なんだろうな、と。

私には、ない力だと。

ありがとう。だんだん、ありがとう。

明日、更新できるかわからないので

年の暮れに童神を聴きながら。

沖縄の友達ができて、このどこか懐かしい曲の名前を知りました。心が落ち着く音楽です。

 

今年初めて実家を離れたんです。

今まで当たり前だったことがそうじゃないと知り、突然当たり前じゃないと知らされました。

家に帰ってくると感じる、落ち着く家の匂いも見慣れた景色も何一つ当たり前じゃなくて、それを愛しいと感じることができる。

それを今まで培わせてくれたものや人や時間が、ただただ恋しい日々でした。

 

けれどその感情ってとても尊いものだと思って、感じることができてよかった感情だと思うのです。

 

いまだに恋しくて寂しくて、一人じゃ歩いていけないけれど、そんな私でも生きていて、たくさんのものや人に、支えられて、ありがとう、だなあ、と。

 

だんだん、です。地元の言葉で、ありがとう。

僕も帰ろ お家へ帰ろ

明日実家に帰ります。

実家、大好きです。何もしなくていいので。

何もしなくても私のことを好きでいてくれる。

私は何か貢ぐことでしか人からの好きを確信できない。

その人にとって都合のいい存在になることでしか、自分の存在価値を肯定できない。

なんてよく言ったものですが、こんなにうまく表現できる言葉ないと思います。

自分の価値を他人任せなので、基本ね。

 

家に帰りたいです、ずっと。

頑張らなくていい場所に帰りたいんです。ずっと。

お互い大好きしか安心できないの?

相手と自分と、お互いに対する感情の重さってあると思うんです。

その天秤が、釣り合ってないと安心できなくないですか。

 

好きであれば好きであるほど、嫌われたくないから萎縮します。

私はあなたともっとわかりあいたいと思うのに、あなたに取って私はそこまでの熱量を注げる相手ではなかった。ただ、それだけ。

 

それだから想いが通じ合うってとても難しいと思います。

同性だろうが異性だろうが、人間と人間の相互理解って、どうしてこんなに難しいんだろう。

 

それでも人間と生きていきたいと思いました。人のあったかさ、好きなので。

 

 

レッツ他人とシンキング

最近ね、ありがたいことに色々な人と考えを交わす場が増えました

もっともっと話したいもっともっと知りたいもっともっと教えて!な日々です。

来年の抱負これにしようかな。

 

先日、ある方のお話を聞きました。感銘を受けたことはたくさんあるのですが、その中から二つほど。

 

まず一つ、「自分らしさ」を決めつけないこと。

確かになあと思いました。自分はこういう人だから、自分は村人役だから、お姫様役だから、とか決めつけちゃったらしんどいよなあ、って。村人だって可愛い服着ていいいしお姫様だって走り回って遊んでいいんだぜ。

 

もう一つ、「成長するということは自分が何だかわからなくなること」という形容。

最近たくさんの人と話して、何だか自分を客観視するというか、自分ってこんなんだったっけ?て一瞬不安になることがあったんです。なるほどそれが成長か、なんて、実感したわけです。

 

考えることって楽しいね。もっともっと考えたいです。もっともっと知りたい。